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モダンな治療法

森田療法はあの時代にしてはおそろしくモダンで、
実際的で、無理がなく、根性や精神主義から
はなれたものです。

たとえば
「朝寝坊することそのものに、本来いいも悪いもない」
明治生まれの郷士出身の人が、そんなことを言っている
そこに目を見張って欲しいですね。


認知療法のほうがよっぽど無理とか我慢を強いるものかもしれない。まあよく知らないけど。

しかし森田のあの柔術家みたいな風貌のせいか、
森田原典の固い文章のせいか、
まったく逆のイメージを持たれています。
森田療法?修身の教科書みたいなんでしょう?なんてね。

しかしそのもっとも大きな理由は
後代の森田療法家が
禅と関連付けたり、行動の強調をしたりして、
結局修養や、ナニワブシにしたてあげたからではないでしょうか。

ネット上の森田体験談、森田的アドバイスでは、
ナニワブシの百花繚乱です。

鈴木知準さんなどは、入院生が
朝寝坊をしようものなら、
たちまちお説教がはじまり、
しまいには僕は神経症治癒して以来、
一度も朝寝などしない。
という話になります。
それってそんなにエライの?

というか、その手の完璧さを誇ったり、
強いたりする発言が
ポロッと出るあたり、彼が本来の森田療法家ではないことを示しています。

森田療法家は、人間の不完全さ、弱さに対して、こんなに断罪的ではないのです。

この点、「スーパー健康人」をめざせ、と語る宇佐晋一先生も同じことでしょう。

治療者が森田療法本来の精神からズレてしまうと、例えば原法を厳守した施設を経営しているというようなことを標榜されても、それがプラスになりません。

結果的には、
森田療法での自然な治り方とは異なる、強迫的、自己愛的なタイプの「全治者」を多数輩出するハメになります。

ともあれ、

自由から規範へ
観察から掛け声へ
解放から束縛へ

と森田療法はニュアンスを変えてゆきました。



単純なモットーで言い切れるもの

(「なすべきをなせ」「只管行動」「そのまま前進」「他人のお世話をしなさい」)

の方が日本人が好きなのかもしれません。



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