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森田自身の語る「行動」その2


いかがでしょうか。これが森田のいう、自然の衝動としての、
行動、です。むしろ「活動」といったほうがいいでしょう。


わかることは、

a. 誰からも強制されていないこと。自発的であること。義務感ナシ!!

b.「眼に触れるままに」「ふと」という語からわかるように、
 突発的であること、つまり「感じからの出発」であること
 それは「人情からの出発」ともいえます。

c.いわゆる観念、思想から出発していないこと。
 つまり、女中を手伝うのは、「奉仕の精神」などからではない、ということ。
 「他人のお役に立つことをしなさい」という禅的森田指導とは全く違うのです。

d.したがって、やることが社会的価値から自由であること。
 蟻の穴の追求などの例。なんの役に立たないことでもOK。

e.この、「自然な活動欲」の生ずる準備段階として、「いつまでも寝ている」
 という境遇が用意されていること。



特に、eはすごく重要です。
「いつまでも寝ている」ということは、「なにもしなくともよい境遇」
(森田自身の語)を保証していることになります。


義務感でがんじがらめの神経症者に、いっぺん、
「本来、人間は何かをしなくてはいけない、ということはない!!」ということを
体験のかたちで保証しているのです。
「何もなすべきことなんてないんだ」と保証しているのです。森田療法って。


そして、人間の活動とは、実は
「やらなくてはいけないからやるのではなく、やりたいからやる」
ものなのだ、ということが、その後の一連の流れで体得されることになってます。




面白いのは、この文章の中で、この活動欲を、食欲にたとえていることです。

食いたくもないのに食事をするのは、ものすごくバカバカしいことなのは
だれにでもわかるでしょう。

さもなければ、食欲もないのに食べている人は、

「人間は一日にこれだけの栄養をとらねばいけない」
とか
「食事は一定の決められた時間にとらなくてはいけない」
とでもいうような「思想」に支配されている場合でしょう。


人間のその他の活動も、同じです。
その気もないのに、活動するのは馬鹿げています。

ともかくも、わかることは、
ある種の森田療法、変質した森田療法での行動は、
食欲もないのに食事をすることに近い、ということです。


無理して、やりたくもない行動に不自然にはげむということを
森田は一言も言っていないのです。
(やりたくないことをいやいややることはありますが・・
 これもやりたくないけど、ほうってもおけない、という
 自然な人情から出発してるだけのことです。)

「やりたい、やりたくないにかかわらず決められたことをする」
という後世の指導者の言葉は、したがって、
森田療法の趣旨からはずれます。

本人がしっかり「自然な衝動としての行動」の体験を
濾過しない治療は、森田療法ではないのでしょう。


森田療法を実践して、義務感覚しか感じられない人は
いまの方法を再検討してみて悪くないと思います。

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