ムダに悩ませる人(不都合な真実 3)
森田の好んだ川柳?に
「幽霊の正体見たり枯尾花」というのがあります。
きちんとみて、枯尾花とわかったからこそ、怖がらなくなれる。
当たり前の道筋を通ります。禅も森田療法も。
ただし宇佐療法、禅的森田療法においては
これは枯尾花なので相手にする必要はない。
いちいち見ないで夜道を通りなさい。
という形を取る。
枯尾花であることをしっているのは指導者だけなんで、
患者は指導者を信用するしかない。しかしこわいし、つづかない。
実は自分自身でたしかめていないからね。
通り抜けること自体無理がある。
こわいのに、元気いっぱい通り抜けるなんて、だいぶ世間離れしている。
普通の人ならまずそんなことはしない。
結局勢いがいいのは最初だけで、どうしても通れなくなります。
怖いもんね。それがほんとだよ。
また、そのように禅の用語を使いながらきっぱりと指導する
指導者を頼もしく思え、崇拝する副作用もある。
信じてるからやめるのも難しいが、やるのも怖い。
こういう状態が数年つづくという。。。。
つまりまとめますと、
実体があって、連続した自我がある、というのが
見性をしていないわれわれの普通の感覚なのです。
(「記憶」というものに脳が騙されているのです)
「オレはいる」という感覚を事実とみなすし、
「つらい」「こわい」という思いを実体として取り扱います。
この、自然のままの「事実」にしたがえばいいので、
それを
あえて、「本当の事実ではない」と、ムズカシくしてしまう必要はありません
実感のない、禅の真理にしたがう必要はないのです。
どうしてもしたがいたいのなら、普通の生活より、坐禅のほうがはるかに近道です。
たしかに
「空」その他は真実、事実だとしても
普通の私やあなたには、これは「他人の事実」で、関係がない。
自分がない、なんて、「実感」がないでしょ?
そうした凡人のための方法が森田療法です。
凡人対応だからこそ、医学としてひろまったのです。
簡単、誰でもできる。
満員電車で「座りたい!」「座れない!」「残念!」
これだけですからね。
「虚構だ」などと、禅の事実「法」を語るその本人だって、
本を読めばその程度の、聞いた風はことをいえるので、信用ならないでしょう。
あるサイトで見性体験をきかれたがはっきりとは答えませんでしたね。。
もともと悟っているなどといいながら・・
それに実感の持てない「事実」をしめされて、
悩みをひとつ増やした神経症者をみて、気の毒におもえないのでしょうか。
実感のないことに自分が歩み寄ると苦しむハメになる
これも思想の矛盾、
ということで
森田療法と言いながら、神経症の繰り返しになるものに
だまされませんよう・・・・
ということで、
「事実」はなにか、という検証をおこないました。
「幽霊の正体見たり枯尾花」というのがあります。
きちんとみて、枯尾花とわかったからこそ、怖がらなくなれる。
当たり前の道筋を通ります。禅も森田療法も。
ただし宇佐療法、禅的森田療法においては
これは枯尾花なので相手にする必要はない。
いちいち見ないで夜道を通りなさい。
という形を取る。
枯尾花であることをしっているのは指導者だけなんで、
患者は指導者を信用するしかない。しかしこわいし、つづかない。
実は自分自身でたしかめていないからね。
通り抜けること自体無理がある。
こわいのに、元気いっぱい通り抜けるなんて、だいぶ世間離れしている。
普通の人ならまずそんなことはしない。
結局勢いがいいのは最初だけで、どうしても通れなくなります。
怖いもんね。それがほんとだよ。
また、そのように禅の用語を使いながらきっぱりと指導する
指導者を頼もしく思え、崇拝する副作用もある。
信じてるからやめるのも難しいが、やるのも怖い。
こういう状態が数年つづくという。。。。
つまりまとめますと、
実体があって、連続した自我がある、というのが
見性をしていないわれわれの普通の感覚なのです。
(「記憶」というものに脳が騙されているのです)
「オレはいる」という感覚を事実とみなすし、
「つらい」「こわい」という思いを実体として取り扱います。
この、自然のままの「事実」にしたがえばいいので、
それを
あえて、「本当の事実ではない」と、ムズカシくしてしまう必要はありません
実感のない、禅の真理にしたがう必要はないのです。
どうしてもしたがいたいのなら、普通の生活より、坐禅のほうがはるかに近道です。
たしかに
「空」その他は真実、事実だとしても
普通の私やあなたには、これは「他人の事実」で、関係がない。
自分がない、なんて、「実感」がないでしょ?
そうした凡人のための方法が森田療法です。
凡人対応だからこそ、医学としてひろまったのです。
簡単、誰でもできる。
満員電車で「座りたい!」「座れない!」「残念!」
これだけですからね。
「虚構だ」などと、禅の事実「法」を語るその本人だって、
本を読めばその程度の、聞いた風はことをいえるので、信用ならないでしょう。
あるサイトで見性体験をきかれたがはっきりとは答えませんでしたね。。
もともと悟っているなどといいながら・・
それに実感の持てない「事実」をしめされて、
悩みをひとつ増やした神経症者をみて、気の毒におもえないのでしょうか。
実感のないことに自分が歩み寄ると苦しむハメになる
これも思想の矛盾、
ということで
森田療法と言いながら、神経症の繰り返しになるものに
だまされませんよう・・・・
ということで、
「事実」はなにか、という検証をおこないました。
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