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不都合な真実

「事実」をみきわめることはむずかしい。

「不安を受け入れよう」「神経症をなおしたい、と思わないようにしよう」
「60%で充分と考えよう」

こうした「理想」を「事実」とおもいこみやすいことはのべました。



では、つぎのようなことはどうでしょう?

「自分というものはない」
「思いというものは実体はない」
「空」
「すべては縁によるその場限りのもの」


そう。これは禅的森田療法でよくいわれるコトバです。

これこそが「事実」だ!ジャジャ〜〜ン!
という感じで語られます。 ミトコーモンの印籠ですか。。

じゃーん!知らなかったでしょ?という感じで紹介していますね。


実体のない自分というものを認める
それが神経症の始まりだということらしいです。


つまり、ないはずのものを勝手に人は、ある、とおもっている。
「オレ」というものを勝手に創りだして苦しんでいる。
虚構と戦っている無駄な努力だそうです。


でも本当は、
「自分はない」のだから、「自分を概念化して、対象化するのはやめなさい」
そして、結局は「目の前の生活を始めなさい」ということになるらしいです。




森田療法は事実にしたがうのですから、

この「自分はない」という事実にしたがわなくてはいけないのでしょうか??


それにしては、そう言われた人たちは、かえって深い悩みの淵に
沈んでいってるような・・・・・


つまり「満員電車で座りたい!」「電車が怖い!」
「おれは他人が恐ろしい」「自分は怠けたがる性格だなあ}

こういう思いは、すべて虚構。無視してください、というわけです。


わたしなんかは、むしろこうした思いのある事実に自覚的で
いいことじゃん、と思いますが、
そう言われた人はみな、
この実感を「ほんとうは無いのだ」といわれて、とまどっているような・・・

実感としてあるものを、「虚構」だと無茶ぶりされることで皆とまどっている
ようにみえますが・・・



「座りたい」という実感に、「それは虚構なのだ」という指摘をうけたことで、
無価値化しようとする。でも打ち消せば打ち消すほど、なくならない・・・

ん?
どっかでみた構図のような・・・・

そしてさらに、目の前の生活に励んでいく。



う〜ん
「実感としてある想いを、虚構だとして打ち消して、直ちに目の前の生活に励め」かあ〜〜


このブログでの提案とは正反対です。
「実感としてある想いを現実として素直にみとめ、それを外界の現実とすりあわせていく」
 (つまり、満員電車で「すわりたい!」「すわれない!」「残念!」)



はい。
大体わかってると思いますが、

こうした
禅の世界からの指摘は、


まったく無視してくださって結構です。



次回詳しく述べます。

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