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心地良い無力感がありますか?


森田療法を実践していると、

その過程で、
自覚に伴う、心地良い無力感といったものを
体験します。

それはラクになる体験です。

なので、
ラクさのない、解放感のない、ただ苦しいだけの
感覚しかなかったら、それは森田療法ではないよ、
森田療法とは似て異なるものだよ、と何度も申し上げているわけです。


ラクさがなければ、それは森田療法じゃない。


では、なぜ楽になるのか。

自覚をして、事実をよく見るからです。

事実を見ると、なぜ楽になるのか。


そもそも神経症とは、

「こうでありたい自分」を想定して、
それを現実の自分とはきちがえて、現実に対処している結果、
無理が生じて苦しんでいる、

そんな状態です。

それが苦しいのは当然です。
「こうでありたい自分」は、虚像なのですから。



「何事にも興味があるべき」
「なんでも理解ができる」と、

能力以上の自分を想定してみても、
実際はそうでないから、
意に反して、本が読めなかったりするとき、
興味が続かないときに、
慌てたり、悩んだり、パニックになったりする。

自分を買いかぶっているけど、実際はもっと
劣るので、現実には当然うまくいかない。

そんなとき、事実を見れば、
楽になるのは当然です。

わかりますよね?

本当に、単に、事実を見ればいいのです。
「かくある自分」を、検討してみるのです。

そうすると、意外に根気がない。理解力も悪い、
そんな自分に気づく。

等身大の自分にきづいたとき、
そこに心地良い無力感がうまれます。

現実となじむことによる安心感です。

その上で、読書を満喫したければ、
能力の悪いなりに、ゆっくり読むとか、
工夫が生まれるでしょう。

  もともとあった、完全欲さえここで
  邪魔にされず満足されます。
  (完全欲を否定する、心理的アプローチは多いのですが
  それはよくないのです。完全欲も事実ですから)




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ちょっと例えてみます。


極辛のカレーを完食しようというとき、
能力を過信して、水なしで一気に食べようとして、
それができないで悩んでいるのが、
神経症者です。

うまくいかなかったら、
事実をよく見て、自分にそんな能力がないとしり、
水飲んだり、テンポを落として食べればいいだけです。

実は森田療法ってそんな簡単なことなんです。


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さて、
心がどんなであれ振り返らず、
ただ必要に応じて前へ進む、
というやり方では、
こうした自覚の大切で、必須のプロセスが
消し飛ばされ、ほとんど効果がない、危険な賭けになりやすいのです。

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苦しい時、なにか頑張ってもうまくいかないとき、
立ち止まって自覚を深めてください。



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モダンな治療法

森田療法はあの時代にしてはおそろしくモダンで、
実際的で、無理がなく、根性や精神主義から
はなれたものです。

たとえば
「朝寝坊することそのものに、本来いいも悪いもない」
明治生まれの郷士出身の人が、そんなことを言っている
そこに目を見張って欲しいですね。


認知療法のほうがよっぽど無理とか我慢を強いるものかもしれない。まあよく知らないけど。

しかし森田のあの柔術家みたいな風貌のせいか、
森田原典の固い文章のせいか、
まったく逆のイメージを持たれています。
森田療法?修身の教科書みたいなんでしょう?なんてね。

しかしそのもっとも大きな理由は
後代の森田療法家が
禅と関連付けたり、行動の強調をしたりして、
結局修養や、ナニワブシにしたてあげたからではないでしょうか。

ネット上の森田体験談、森田的アドバイスでは、
ナニワブシの百花繚乱です。

鈴木知準さんなどは、入院生が
朝寝坊をしようものなら、
たちまちお説教がはじまり、
しまいには僕は神経症治癒して以来、
一度も朝寝などしない。
という話になります。
それってそんなにエライの?

というか、その手の完璧さを誇ったり、
強いたりする発言が
ポロッと出るあたり、彼が本来の森田療法家ではないことを示しています。

森田療法家は、人間の不完全さ、弱さに対して、こんなに断罪的ではないのです。

この点、「スーパー健康人」をめざせ、と語る宇佐晋一先生も同じことでしょう。

治療者が森田療法本来の精神からズレてしまうと、例えば原法を厳守した施設を経営しているというようなことを標榜されても、それがプラスになりません。

結果的には、
森田療法での自然な治り方とは異なる、強迫的、自己愛的なタイプの「全治者」を多数輩出するハメになります。

ともあれ、

自由から規範へ
観察から掛け声へ
解放から束縛へ

と森田療法はニュアンスを変えてゆきました。



単純なモットーで言い切れるもの

(「なすべきをなせ」「只管行動」「そのまま前進」「他人のお世話をしなさい」)

の方が日本人が好きなのかもしれません。