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森田療法をひとことで


森田療法を一言の動詞であらわしてみるなら

「知る」「観る」「気づく」
「向き合う」



などのようになります。



「動く」「行動する」「(自分を)変える」「頑張る」
という動詞ではないのです。




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おすすめ森田療法の本

これから、気が向いたときに、
おすすめの森田療法関連本を挙げていこうと思ってます。


といっても、このブログを読まれる方は大体、
いまさら森田療法の概略は分かっていると思います。


大体、森田療法の本は、多くは療法の基本的なことが
ならべてあるだけで、ほかは体験記なんかで、
全然新鮮味がないのです。


こんなに誤解しやすい森田療法なのに、そこを
くわしく述べた本は少なく、ほとんどが
基本技法の解説周辺にとどまります。

だから紹介したい本といっても少ないです。


  ********


ところで
森田自身の著作はどうなのか。

森田自身の著作って、
なかなか滋味ある文章ですし、まったく
人間や神経症をよくみつめた天才を感じますが、
いかんせん、まわりくどいし表現もすこし固いし、
話の脈略もとりにくい。

なので意外にきちんと読まれていないのではないでしょうか。


  ********


とにかく神経症で困っている人は、無理もないですが
簡単に、はやく、よくなりたい、と焦りがちです。


「なすべきをなせ」という間違った指導に
惹かれる人がそれなりに多いのは、そのシンプルなカタチが
解決を焦る神経症者の欲求に合致してしまうから、という面もあります。



焦ると「簡単」をもとめたくなります。


  ********


ところで、
今回紹介する本は、そういう焦る方のために、
簡単なものを紹介します。

それは
心理療法プリマーズ「森田療法」(ミネルヴァ書房)の


120ページからの、2,3ページ


そこだけです。(笑)


外来森田療法において、患者にどのような
語りかけをするかという具体例が、
いくつかぐらい載っているのが120ページです。

当然読んでも、わかりやすい。

例えば

「不安か安心か二者択一の態度ですね」

とか

「不安はなくなるものではないですよね。なにかやってるうちに
まぎれるものですよね」

などと、シンプルな言葉で、事実に気づかせてくれます。

すでにわかっていることかもしれませんが
こうしてあらためて会話風にして触れてみると、
意外に新鮮にうけとれるかもしれません。

その後のページは、このブログでも述べてきた森田療法の
誤解について述べられていて、もう自分のいいたいことが
ほとんど言い尽くされている感じです。

大きな本屋にあると思うので、別に買わずに(笑)
立ち読みして、気に入った言葉があれば、なるほどと
思って本棚に戻せばいいと思います。


森田療法 (心理療法プリマーズ)森田療法 (心理療法プリマーズ)
(2005/11)
北西 憲二、中村 敬 他

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理知と感情との調和

子供のころ、遠足があるとなると、前の晩は楽しみだったろうとおもいます。
興奮してなかなか寝つかれなかったかもしれません。

そんなとき、眠くはない。起きていたい。
しかしそのまま起きていれば、
そのために寝坊して、あしたの遠足に遅刻したら困るので、
眠くはなくても床についていませんでしたか?


森田療法でいわれる「理知と感情との調和」を
具体的にいってみれば、このようなことです。

「これが森田療法だ」といわれると、拍子抜けのするくらい、
あたりまえのことですよね。


眠くはない。起きていたいが、仕方ないので、床にいるだけです。


細かくいえば

「起きていたい」というのが感情で、

「遅刻したら困るから、仕方なく寝ている」というのが理知です。

(「理知」というのは、現実的な視点、といいかえると
  わかりやすいかもしれませんね)


ポイントはどちらも自分から湧き出たものであるという点です。
その意味で「我の発揮」であるのです。




しかしこんなとき、親に「あした遠足だからはやく寝なさい」といわれると、
たちまち嫌になりますよね。
「わかっているヨ!」といいたくなります。

同じようなことでも、人から言われると、嫌になります。

言われたとたん、自分の主体的な行動が「モットー」の様相を帯びてきます。

その結果感じられる、「縛られる感じ」に反発するのでしょう。



まちがった森田療法の指導とは、このお節介な親のようなものです。

言われた神経症者が、子供のように反撥ができるのなら
まだラッキーです。

しかしかなりの人が、
この「モットー」をうけいれて、いわば他律的にモットーに縛られる形で、
「床に就く」という「正しい行動」を遂行するのです。

いい子です・・・

しかしそもそも神経症になったのも、
その「いい子」であることが招いた結果なのです。



「こうすべき」ということがハナからあるのではなく、
そのときそのときの

「感じ」

によって、

「自分が

決めていくことに森田療法の醍醐味があります。

それは森田療法だけでなく「生きるということ」そのものにも
言えることではないでしょうか。