「行動」のワナ
森田療法で一番よくある誤解のパターン。
それは、とにかくやみくもに建設的な行動をすることです。
しかし、いくら行動しても治らない、という人は多いです。
また、やたら行動はするが、結局自分の不安に強く関わる行動は、
いつまでもしなかったりします。
(電車恐怖の人がいつまでも電車に乗ろうとしない、など)
それでも本人は、行動をしていることを頼みにして、自分は治ったかのように
みなしている場合もあります。
不安をしっかりつかみながら行動するのならいいのですが、
大抵、
行動が、かえって、実は不安にふりまわされているのです。
不安をごまかすために行動しています。
しかし、それに気がつかない。やがて、疲れて、欝にもなりやすい。
自分は神経症治療として、正しいことをしていると思いこそすれ、
よもや神経症を強化しているとも気づかない。悪循環です。
そうして、どんどん自分の心に無自覚になっていく。
ますます自分の気持に、鈍感になり、抑圧するのが習い性となる。
その結果、欝にもなります。
行動よりも、森田療法のポイントは、「事実を見る」こと。
「自覚」をすることです。
それは、とにかくやみくもに建設的な行動をすることです。
しかし、いくら行動しても治らない、という人は多いです。
また、やたら行動はするが、結局自分の不安に強く関わる行動は、
いつまでもしなかったりします。
(電車恐怖の人がいつまでも電車に乗ろうとしない、など)
それでも本人は、行動をしていることを頼みにして、自分は治ったかのように
みなしている場合もあります。
不安をしっかりつかみながら行動するのならいいのですが、
大抵、
行動が、かえって、実は不安にふりまわされているのです。
不安をごまかすために行動しています。
しかし、それに気がつかない。やがて、疲れて、欝にもなりやすい。
自分は神経症治療として、正しいことをしていると思いこそすれ、
よもや神経症を強化しているとも気づかない。悪循環です。
そうして、どんどん自分の心に無自覚になっていく。
ますます自分の気持に、鈍感になり、抑圧するのが習い性となる。
その結果、欝にもなります。
行動よりも、森田療法のポイントは、「事実を見る」こと。
「自覚」をすることです。
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素直な本音をつかんでいること
森田療法で、よく「不安はコントロールできない」という解説がされます。
それを聞いたり、読んだりした人は、まず大抵、
「不安はコントロールできないのだから不安のままでいよう。受け入れよう」
とします。
しかし受け入れようとしていること自体、本当の受け入れには程遠いのです。
「忘れる」という状態は、「忘れよう」としているあいだは、もたらされない、
ということと似ています。
どうせ「不安を受け入れなきゃ」なんて思っている段階では、
「不安を受け入れるとラクになるだろう」という下心があるので、
結局不安のコントロールを狙っているにすぎないのです。
それならむしろ、そうした本音に素直でいることです。
なんだかんだいって、安心したい、楽になりたい、というのが本音でしょう?
そうした自分をごまかさないでしっかりと掴んでいることを、
「自覚」といいます。
「不安を受け入れよう」という無理な工夫より、
「何とかして安心したいなあ」と思っていることの方が、
「心の事実」をとらえているのです。
森田療法は「自覚」「事実を捉える」ことからはじまります。
それを聞いたり、読んだりした人は、まず大抵、
「不安はコントロールできないのだから不安のままでいよう。受け入れよう」
とします。
しかし受け入れようとしていること自体、本当の受け入れには程遠いのです。
「忘れる」という状態は、「忘れよう」としているあいだは、もたらされない、
ということと似ています。
どうせ「不安を受け入れなきゃ」なんて思っている段階では、
「不安を受け入れるとラクになるだろう」という下心があるので、
結局不安のコントロールを狙っているにすぎないのです。
それならむしろ、そうした本音に素直でいることです。
なんだかんだいって、安心したい、楽になりたい、というのが本音でしょう?
そうした自分をごまかさないでしっかりと掴んでいることを、
「自覚」といいます。
「不安を受け入れよう」という無理な工夫より、
「何とかして安心したいなあ」と思っていることの方が、
「心の事実」をとらえているのです。
森田療法は「自覚」「事実を捉える」ことからはじまります。
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